雑記

宝塚を中心に観劇の感想を投稿していこうと思います。

【寄稿】君はあの日当日券に並ぼうと言った。

こんばんは。のかぜです。

あの異次元レベルの作品『ファントム』についての記事を書こうとぼんやり考えていた私の元に、友人から「寄稿したい」というLINEが入ったのはまだ記憶に新しいつい数時間前のことです。

昨夜書いた記事をまずは友人に読んで欲しいと送り付けたのです(↓これ)

yumenokaze.hatenablog.com

友人よ、ありがとう。

しかしブログ初心者の私は寄稿とはなんぞやと思いました。

聞くと自分のブログに他の人が書いた文章を載せるということらしいです。

おk、分かった。

それではどうぞ。私は黙ります。

(絶対寄稿ってこういうやり方じゃない気がする。)(まあいいか)

 

 

 

「君はあの日当日券に並ぼうと言った。」

君はあの日、当日券に並ぼうと言った

友人Aのルポ

 

どうも友人Aです。そう、贔屓が朝夏まなとのあの友人です。

先日友人の のかぜ のブログを読み、のかぜがどのように宝塚にハマったのかを改めて知りました。

その長文を読んで心が躍り私目線でのかぜの宝塚のハマる経緯を備忘録として残したいと思いました。何故文を書くことに慣れていないため駄文・長文が続くことをお許しください。

 

 

私は自分の趣味が自分がきっかけとなって他人が好きになるという現象、いわゆる布教に対してとてつもない憧れを持っていました。

それはひとえに誰かと趣味の話をするのが楽しいからです。それが気の合う友人であったら何よりです。

しかし布教は何よりも難しい。たとえ自分が神のように崇めている人間でも他人からしたら神でもなんでもない。ただの他人です。

自分がもし猛烈に布教をさせられたらたとえ友達でも瞬間的に負の感情を感じ得ないでしょう。布教とはそのリスクを抱えながら行わなければならないのです。

しかし、この言葉にならない感情を友達と共有したい。

その欲はそのリスクさえを乗り越えたいと思えるほど閃光のように強烈です。

つまり、それだけ憧れがあったために今回のことが嬉しくて嬉しくて「残したい。書きたい」と思ってしまったわけです。

 

私は4年前、宝塚の沼にどプントハマりました。

もうそれはまさしく、秒。

そしてその感動を、時間を過ごすことが多かったのかぜにただただひたすら話しました。

いかに素晴らしいか、いかに美しいか宝塚の話を己の欲望にただただひたすら聞いて欲しくて話し続けました。

のかぜはそんな暴走気味の話を嫌そうな顔をせず(おそらく内心ではうざいと思っていたでしょう)聞いてくれました。

あの時はありがとう、のかぜ。

 

しかし、人間とは欲張りなものです。

話を聞いてくれるだけでは飽き足らず「共感」して欲しかった。

どうやったらのかぜが私と同じ言語化できない感動を持つことができるようになるのか。観劇の帰路につく時その観劇の素晴らしさを話し、共感できることができるのか考えました。

私は今まで自分の好きな作品、好きなスター、まさしく自分の感動したことを押し付けていただけだったことに気がつきました。

DVDも見せましたが、自分の好きな作品をただただ見せただけ。全くのかぜのことを考えずに

自分の消化しきれない感情をぶつけていただけでした。おそらく布教をする側としていちばん大切な視点が抜け落ちていました。なぜ、それに今気づいた。

 

(これは他の何人かの子にも同じことをして被害者を出し続けました。今この場を借りて謝ります)

このただひたすらくだらない考察の結果、私はのかぜについて考えました。そこでDVDだと3時間!長い宝塚の作品をいきなり見せるのではなく、手軽に見ることができるポスターや写真を使えばのかぜが何に興味があるか絞ろうとしました。

のかぜは雪組公演「星逢一夜」のポスターに対して好反応を示しました。

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星逢一夜 ポスター


(いやー、美!)

その時私の手元には雪組公演の「星逢一夜」のDVDがありました。

これならば彼女は宝塚としてではなく、1つの作品、物語として楽しめるのではないかとDVDを押し付けました。

 

後日、のかぜは見てくれました。そして

「やばかった上田久美子さん(演出家)やばいな…。なんであんな素晴らしい作品かけるの」と一言。

 

よっしゃあああああああああああああああ。だよねだよねだよね、やばいよね。

私は喜びに打ちひしがれました。

そうだよ、君もわかるよねこのなんだろう語彙力を失う何かわかるよね。

彼女と「星逢一夜」に関しては私は共感することができました。

明らかにテンションがおかしくなった私を尻目にのかぜは続けました。

 

「あと、源太役の人?望海さん?やばい」

 

え????????スターさん目をつけた????

一度思考が停止しました。

しかし別におかしいことではありません。演者に注目するというのが当たり前です。

今思うと、(この人落ちるの早!!!)と困惑したのです。

 

さらに、演出家にいたく興味を示したのかぜ。私が伝えたかったことを全て汲み取り面白いように私のツボを押さえていくのです。

 

「のかぜ、恐ろしい子!!!!!!!!!!」月影先生風、一度書いてみたかった)

 

すごい、私も同じこと考えてた。のかぜすごい。やばい(語彙力)

 

さて、これで心置きなく私は宝塚の話をすることができることになりました。

のかぜは同じテンションを経験したのです。1つ壁は乗り越えました。

しかし人間はやはり欲深き存在、1つ壁を乗り越えるともっともっとそれ以上を望み出します。

次なる望みは「星逢一夜」での共感ではなく「宝塚」で共感して欲しい。

 

そこで次なるは観劇をしてほしいと思いました(正直ここの間はよく覚えてません。おそらく双方の一致だった。)

夏休みで、それでいて彼女が共感しやすいもの演目。その条件に合致しているものとして選ばれたのが「神々の土地」でした。これなら演出は「星逢一夜」の上田久美子先生だし、絶対満足することができる。

そしてプラスαとして私の好きな宙組を見てほしい。そしたら宙組の話もできるではないかと思いました。

(と書いていますが、のかぜがこれ見に行きたいと言ったような気もする。しかし、宙組の下心は間違いなくあった。つまり双方の一致。)

 

当日

宝塚に着くと、自分の知っている知識とどこかで聞いたような噂話、今まで行ってきた宝塚の経験をフル動員して我が物顔のように宝塚を紹介する私。そんな私に対して嬉しそうにリアクションしてくれるのかぜ。

ありがとう、のかぜ。(2回目)

 

観劇をしたあと、私たちは花の道を歩きながらお互い感動しあったことを話しました。

 

そう、私はこれがしたかった。。。。。。。。。。

2人で、感想を言い合い観劇の感動が2倍にも3倍にも何倍にもなるこの至福の時間を体験したかった。。。。。

もうそれで私は満足でした。そしてその時に私は彼女が宝塚にはまったと思い自分のミッションは達成したと信じきっていました。

その後、ちょくちょく宝塚の話をするようになりました。

今度こんな演目やるよ!とか、このポスターやばい!とラインをして、のかぜが「え?そうなの」とか、「やばい」と返してくれるのが嬉しくて嬉しくてしょうがありません。共感という快感に溺れ、虚栄心もくすぐられました。

 

そんなこんなで2回目の観劇が決まりました。

「星逢一夜」でのかぜが好きと言った望海風斗さんのトップお披露目公演のチケットが運よく手に入り「ひかりふる路」を見に行くことができました。

 

演目は本当に素晴らしかった。特にトップ2人の歌に酔いしれました。

前回と同じように2人で素晴らしかったと感想を言い合い興奮の帰路につきました。

 

私はその時完全に誤算をしていました。

のかぜは神々の土地でもう好きになっていたと思っていて、もう私の布教のミッションは終わったと思っていました。ひかりふる路はその延長線上の観劇でした。

しかしのかぜの主張でわかるように、のかぜはここで「宝塚」という抜け出すことのできない沼に完落ちしました。今までは演劇の一種としての好きが「宝塚」を愛し始めました。

そんなこともつゆ知らない私は、「神々の土地」の後のようなテンションがこれからもずっと続くと予想し、それを盛大に待ち構えていました。

 

しかしのかぜは明らかにテンションが違っていました。

本当に「ヅカオタ」になったのです。

一言、「私ヅカオタになったわ。認める。」とラインが来ました。

 

え?今までヅカオタではなかったの?

確かに今までもうヅカオタだね?と言うと「いや違う!違う!」と否定はしていましたが、またまた〜と返していました。

要するにただの照れ隠しだと思っていました。

だけど、衝撃。彼女が正真正銘に「ヅカオタになった(過去形)」と言ったのです。そう言ったのです。

 

え???????????????

 

そこからの彼女は早かった…。

星組の「うたかたの恋」のチケットを取ったとラインがきました。

 

は?????????自分で取った????????????

え???????????

(言葉にならない衝撃、これをまた誰かと共感したい)

 

そう、のかぜはヅカオタになりました。そのため、ヅカオタになったならば自力で自分の意思でチケットを取りに行こうと言い出すのはなんも不思議ではなかった。

しかし、あまりの衝撃に言葉を失いました。

 

奴は本気(マジ)だ。

 

そしてその次に私たちは運よくチケットが手に入り月組公演「カンパー!/BADDY!!!」を見に行きました。

本当に楽しかった。特にBADDY!!は私が見たショーの中で一番といっていいほど楽しく、今でも私にとって宝物のような作品です。

これはなぜ、もう一回見ることができないのだろう…もう一回みたい!!!そう思いました。しかし、それは(もう見れないなんて。。。。。。。。。)という悲しみと諦めのコントラストと並存していた感情ですが。

 

しかしのかぜは次の瞬間衝撃的な一言を言います。私はこの時本当にのかぜがヅカオタになったと実感した瞬間でした。逆にこの時まで彼女がヅカオタになったことが自分では本当はわかっていませんでした。あんなになって欲しいと嫌われる覚悟で布教をしたんですが、のかぜがヅカオタになるのを受け入れるのは3ヶ月ぐらいかかったわけです。(遅)

 

こういいました

 

 

「当日券並ばない?」

 

え????????????????

あの衝撃は今でも忘れることができません。

できたばかりのHIBIYA MIDTOWNをのぞいてみたく、お願いをして2人で入り、新しいショッピング施設への期待と喜びを胸にエレベーターに乗った時でした。

できたばかりのMIDTOWNのキラメキで私の脳の中で爆発したかと思いました。

 

お、おう。。。。。。。

 

当日券。朝5時ぐらいから日比谷のど真ん中で、観光客の外国人、今から戦いに行くサラリーマンの「何やってんだこいつら」という数多もの冷たい視線に耐えなければなりません。

ましてやその時は真冬ではないにしろまだ朝だと肌寒い3月下旬です。絶対寒い。

そんな障壁をも超え、ただただ「その作品を見たい」の一心のために並び、手に入れる「当日券」。そんなことは百の承知で彼女は並ぶと言いました。そう言いました。

 

しかし、のかぜの欲望は至極まっとうなもの。あんな素晴らしいショーもう一度見たいなんて思うのは至極真っ当のこと。当日券に並べばもう一度あの素晴らしい体験ができるならば喜んで並ぶでしょう。

 

「並ぼう!!!!!!!!!!!!!」

まるで小学1年生が学校で教わったばかりのようなキラッキラの返事をしました。(小学校1年生は「並ぼう」なんて言いません)

こうして2人で朝5時より前に日比谷につき並ぶことになりました。

 

そして私たちは本当に素晴らしい3時間にもう一度再開できたのです。あの時のかぜが当日券を誘ってくれなかったら、きっと一生後悔していたでしょう。

(また並ぶ時私の極度の心配性により大変迷惑をかけたことをここでお詫び申し上げます。)

 

さて、そんなこんなで彼女は無事ヅカオタになり、私は言葉にならない共感をのかぜと共有することで満足を得るということを続けています。

何よりのかぜとのヅカトークは楽しいの一言。今では私なんか風下にもおけないほど宝塚に詳しくなり精力的に「宝塚」いや「舞台」を楽しんでいます。

そしてそののかぜに私は助けられることの連続です。

普段は言えないのでここで記しておきます。(ラブレターみたいになっちゃった。てへ。)

 

しかし、こうして振り返って見ると彼女にきっかけを与えたに過ぎません。つまり種を土においたぐらいのことしかしてないのです。

結局はその人次第であり、のかぜの周りにたまたま宝塚が好きな友人がいただけなのです。つまり石ころのような存在でした。

一時期私は、憧れの布教を果たしたと勘違いし、のかぜを宝塚に引き入れいたことに対して自負を抱き、盛大に調子に乗っておりました。しかし、今思うとそんなのは本当に傲慢かつ甚だならない態度です。

 

結局は布教といいつつ自分のことしか考えていなかった。

ただただ自分の「共感したい」という欲に突き動かされ、そしてそれに他人を巻き込んだという事実だけが今この文章を通して私に突き刺さってきます。それをさも彼女のためのように振る舞っていた自分。誰か私に穴をください。

 

 

現在、のかぜが宝塚ライフを楽しそうに過ごしているのを見るのがただただ救いです。

 

以上、のかぜへの謝罪レポートでした。